「禁点の硬結」を知って、過去の怪我に思いを馳せた

最近は整体にも興味があって、野口晴哉(はるちか)さんの『整体法の基礎』という本を買ってみた。本の外見だけ見ると難しそうだけど、読んでみるととてもやわらかな文章でびっくりした。野口さんのまっすぐな物の見方・捉え方が伝わってくる。

内容も最初から興味深い。人間がまさに今この瞬間を生きているのは、実は不思議なことで、体の各部分の働きも、私たちが見て知っていることなんてほんの表面的なことにすぎないんだと実感する。

まだ読み始めたばっかりなんだけど、早速とても神秘的なことが書いてあって、私自身思うところがあったので紹介したい。

もくじ

禁点の硬結にみる体の神秘

人は、生きていさえすれば、体の内外の怪我も、病気も、自然と治っていく。生きて使ってさえいれば、体は丈夫になっていく。それがわかっていた野口さんは、人の体を見るときにまず死ぬか死なないかを観ていたそうだ。そこで確認するのが「禁点の硬結(こうけつ)」。これが鳩尾付近に出ると、人は4日後に死ぬという。

え!そんなことがわかるのか。
なんだろう禁点の硬結って?ツボ?
物理的なものなのかな?
霊的な、たとえば死相みたいな、見る人が見ればわかる的なものなんだろうか?

そう考えた私はすぐさまググった。
すると野口整体を指導している方のnoteに以下のような記述があった。

みぞおち近くに禁点の硬結がでると
4日以内に死ぬ。
不思議なことに死ぬ理由は問わない。
病気でなくとも
事故や殺される場合でも
カラダは禁点の硬結を表現する。

日比アキトモさんのnote『DEAD or ALIVE。死ぬのか、死なないのか。それが分かれば力になる。』から引用させていただきました)

「事故や殺される場合でも」

禁点の硬結が何かより、まずこの一文に驚いた。

…えっ、事故でも?
不慮の事故でも、体は4日前に禁点の硬結を表現する…?

ええ!?😭

いや、すごくないか?
なんか感動すら覚えるんだけど。

体は死が近いことを知っている。事故に巻き込まれることさえも、事前に、知っている…。
なんて神秘的な、なんて不思議な話だろう。

この記事を書いている日比さん自身も何度か禁点の硬結を確認したことがあるようだった(その体験談がまたすごい)。危篤のように思える人を前に、禁点の硬結を確認する。「死なない」とわかれば、その人の体は自分で治す力を持っている。だからあとは落ち着いて愉気(ゆき)するだけ、なのだそう。

ちなみに、禁点の硬結について、他の人の記述もいくつか読んだんだけど、禁点の硬結はどうやら物理的なもので、鳩尾の少し下あたりに米粒半分くらいの大きさのしこりができるらしい。

それにしても、事故による死を体が事前に知っているということは、事故は偶然なんかじゃないということだよね。

死も、本来は「まだ死にたくない」とかそんな、人がどうこうできるものじゃないんだな。いつ死ぬか、そんなのは生まれてくる前から決まっていて、体はちゃんと知っている。「人生は、生まれてから死ぬまで、その間の設定まで、全部自分が決めてきてる」とよく言うけど、本当にそうなのかもな。

怪我にも意味がある?

「禁点の硬結」を知って、3年前の春、駅の階段で盛大に転んで怪我をしたときのことを思い出した。

右足首がバキッといったけど立ち上がれたので、骨は折れてなさそうだ!とホッとしたのだが、次の日に整形外科へ行ったら靭帯断裂で全治3ヶ月と言われた。足首も肘も腫れた。2日間仕事をお休みして週明けから復帰しようと思い、日曜日の夜、上司に連絡を入れたらその直後から足がものすごく痛み出した。

この頃、私は仕事が「もうムリ!」状態だった。
なんなら前年からずっと無理だった。

いつどこの血管がプチっといってもおかしくないような精神状態。頭では辞めたほうがいいだろうと思っていた。それでも「仕事はしていなくちゃ」と働き続けた。

復帰すると連絡した直後にズキズキと足が痛んだとき「ああ、行っちゃダメなんだ、体が行きたくないと言ってるんだ」と思った。結局、怪我をしてから一週間近くもお休みをもらった。

そして、ちょうどコロナ禍が始まってすぐの時期で私がラッシュ時の電車に乗ることをよく思っていなかった父(しかも退職したて)がこれ幸いとばかりに(?)復帰してから毎日車で送ってくれるようになり、足を怪我しただけで家から職場まで親に送り迎えしてもらう30すぎVIP独女が爆誕した。笑

でも、送ってもらえて本当に良かった。
送ってもらえたから仕事をどうにか続けられた。

後に、これほどの怪我をしたのは、体からの強制ストップだったのかもな〜と思うようになった。でも一方で「いや、まさかね。だって事故だもん。血管がプチっといったり病気になったりしたわけじゃないんだから」と思っていた。


しかし今回「禁点の硬結」について知って、いよいよこのときの怪我は本当に体からの警告だったのかもしれないと思うようになった。

怪我から1年以上経って仕事を辞めた私は、母と母方の実家で山仕事をした。時間はいくらでもあったので、母は「この機会に山を一度すっかり綺麗にしておきたい」と、立て続けに帰省した。すると今度は母が大きな怪我をした。山で仕事中、崖から落ちて脊椎を圧迫骨折。あとで崖の高さを見ると、それでも軽く済んだほうだった。

実は、母は実家にいるのがすごく辛い人なのに、その年は何度も、長期で帰省していたのだった。

私と母の怪我には共通点があって、どちらも事故の直前に「あっ、落ちる!」みたいな感覚がなく、気がついたら怪我をしていたということ。怪我をしたのは12月、東京に帰る前の日だった。母は3月にはまた帰省してほしがられていたが、その怪我で帰省の話はなくなった。

母の怪我も体からの警告だったのかも。
母の体は、母を実家にいさせたくなかったのかもしれない。


事故にあう、怪我をする。
どんなことも偶然じゃない。
じゃあ目の前に起きることは、何を伝えてきているんだろう?

感覚を大切にしたい

どう生きたいのかも、いつ死ぬのかも、どの道を選べばいいのかも、自分がすべて知っているのだとしたら。現状を見て「何かしなくちゃ」「どうにかしなくちゃ」と焦る必要はないのかもしれない。

生きているとどうしても、他人がどう思うかとか、お金がなくなるんじゃないかとか、老後が心配だとか、そんな表面的なことで右往左往してしまう。でも本当は、もっと肩の力を抜いて、自分の感覚・自分の声をちゃんと感じ取って物事を選択していれば、自ずと進むべき道に導かれるようになっているのかもしれない。

それなら、流れてくる出来事をただ精一杯体験して、めいっぱい一喜一憂して、また次の体験をするだけだ。

生きるって、そういうことなのかもしれないな。


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怪我した当時のブログがなかなか面白いので見てね。
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