必要なものはちゃんと持っている

「必要なものはちゃんと持っている」
これは本当かもしれないと最近考えてる。

3ヶ月本気出すと決めた去年の11月からみるみる、私のやりたいことはやっぱり「表現」で、それには文章と、写真と、人と会うこと触れ合うことが必要だと実感していった。

写真に関しては「自分なんて素人だし、大した写真撮れないし」と思っていたけど、写真は目の前のものをどう写すかにも、どんな写真に仕上げるかにも人柄が出るのだから、自分がいいと思ったものを世に出すだけでいいのだと、それこそが表現なのだと実感した。

文章に関しても、Webライターの経験なんてどうってことないと思っていたけど、自分はまったく生半可にはやっていなかったし、そのために必死で勉強したし、結果も出せていた。インタビュー記事も心を込めて書いた。相手の思いを相手の気持ちになって読み手に届くように文章に書き出して表現した。ライターの仕事ももっと胸を張って「経験がある」と言っていいのだと実感した。


「私には何もない」とあんなに思っていたのに、本当はちゃんと持っていた。

写真だって撮れるし、文章だって書ける。
母はいつも私にそう言ってくれていたけれど、自分では実感していなかった。
いつも「足りない」と思っていた。

一つ一つを持っているのはわかってたんだけど、すべてが不完全な気がしてた。それが最近になっていきなり「全部ありますよ」「ピースが揃っていますよ」みたいになってきたというか。

気の持ちようなのか、ただ時期が来ただけなのか。


移住計画も進展があった。

母方の実家に一番近い町。
そこには単身用のアパートがあまりないし、住みたいと思える物件がなかった。

でもたった一軒、まぁここが一番あるっちゃある…と思っていた物件があって、つい最近空いたばかりで即内覧できたし、狭いながらも痒いところに手が届く感じの部屋で、ありよりのありだった。マジか。

そしてこの前町を歩いたときにたった一軒見つけた、求人募集しているいい感じの和食屋さん。見つけたときは閉まっていたけど、物件を内覧して「ありだな!」と思った後、行ってみたら開いていた。開店前に店主の方にお話を聞けた。とても真摯な感じの方で、見つけたときよりもずっと「あ、働いてみたい」と思えた。

母方の実家から買い物に行くといえば、その町。
幼い頃から馴染みのある町だ。
ただ、これまで国道沿いのスーパーで買い物をするだけで、町中をのんびり散策したことはほとんどなかった。

和食屋さんがあるあたりは城下町で、私の大好きな町屋づくりの建物がズラッと並んでいた。古い町屋を改装した、オシャレで小さなカフェやレストラン。まだ改装中の建物もいくつかあった。若い人たちもたくさん来ているみたい。一瞬でいいなと思った。


また今回の滞在中に、竹炭を作っている人が近所にいることがわかり、無農薬・無化学肥料でお米を作っている人がいることもわかった。うお〜、話を聞いてみたい。

私が知りたい・やってみたいことを実際にやっている人たちがすぐ近くにいるんだ。

福岡でも熊本でもない。
母方の実家に一番近い町に拠点を置くべきだったのかも。

必要なものはちゃんとそこにある。
ちゃんと持っている、のかもしれない。

まだね、この職なしにお部屋を貸してくださるかはわからないけどね!


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